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指揮者にまつわるアレコレ①

  • 竹内
  • 2018年3月10日
  • 読了時間: 4分

こんにちは。転勤の都合で、昨年4月からインナワ休団中の竹内です。 休団中ではありますが、神戸から初投稿させていただきます! 皆さん、合唱団の指揮者って、何を考えて、どんなことをしているか、イメージできますか? 休団前はインナワで指揮者を担当していたこともあり、指揮者にまつわるアレコレを書いていきたいと思います。 あんまり需要のないテーマの気もしますが、今、演奏者側のあなたも、ある日突然、「指揮者やって!」と頼まれることがあるかもしれません(というか、インナワでは間々あります笑)。その時に慌てないように(?)、暇つぶしがてら読んでいただければ幸いです。 今回は、私自身の経験を振り返りながら、指揮をやり始めた人がたどる変遷をご紹介したいと思います。独断と偏見たっぷりなので、ご注意ください(笑)。 1.羞恥心と戦う時期 指揮をやり始めた当初は、「人前で指揮を振る」ということへの羞恥心と戦う時期が続きます。自分の正面には合唱団員、背後にはお客さんを抱えながら、腕を振り回し、体を捻り、顔の表情も必死に動かしながら団員に指示を出す。にもかかわらず、自らは一切、音を発していない。団員もお客さんも、指揮者という存在を自明のものとして受け入れているようだけれど、冷静に考えると、「あの人何やっているんだろう」的な存在なわけです。 私自身、大学の合唱団で自ら希望して指揮を振り始めましたが、それでも、当初は恥ずかしさがありました。 2.自分の腕が言うことを聞かない時期 さて、日々の練習や幾度かの本番で指揮の経験値がたまることで、自然と羞恥心は克服されていきますが、次に直面するシンプルで、しかし重要な課題が、「自分の思い通りに腕を動かせない」ということです。 You Tubeなどでプロの指揮者の流麗でカッコよい指揮姿を見て憧れ、自分も同じように振ってみるぞと意気込むものの、なかなか我が腕は言うことを聞きません。 右手はスマートに4拍子を振りながら、左手で団員に対して情熱的にcresc.を煽る、なんてことを夢見ていざ実践すると、右手が左手につられ、両手をぷるぷる震わせている変な人になったりします。自分の腕が全く融通の利かない存在であることに、愕然とする日々が続きます。 3.自分は振れると勘違いしだす時期 自分の中で、「以前よりもちゃんと指揮が振れるようになってきたぞ」という感覚が芽生えてくると、誰もが陥る勘違いの時期へ突入です。 日々の合唱団の練習において、「自分はこんなにしっかり振っているのに、どうして団員のみんなは指揮の指示に従ってくれないのか」という思いを抱き始め、悩み、時に苛立ちます。 そこで、冷静に原因分析と改善策の立案・実施ができれば、自分の勘違い・思い上がりにも気が付くのでしょうが、苛立ちをダイレクトに団員にぶつけ、結果、練習が紛糾するという悲しい事態を招いてしまったりします。 4.そして振り出しへ 勘違いし、団員と意見が衝突する経験を積むと、「指揮者ってどのような存在なんだろう」「私が理想とする指揮はどのようなものなんだろう」と、そもそもの疑問が頭をもたげてきます。 冒頭の「羞恥心と戦う時期」に書いた、「あの人何やっているんだろう」が、実は根源的で重要な問いかけだったのです。 バーンスタインは、指揮棒を動かさず顔だけで指揮をして名演をした、という話を聞いたり、カラヤンが終始目を閉じたまま指揮を振ってオーケストラを導いている映像を見たり、ゲルギエフが爪楊枝みたいなちっちゃい棒で指揮を振る姿を見たりすると、ますます指揮が何なのか分からなくなってきます。 しかし、その「分からなさ」と正面から向き合いながら、指揮者がいた方が合唱団にとって何か良い影響があると信じて、そして、良い影響が与えられるような指揮者でいられるように技術的な鍛錬を続けていくことが、指揮者にとっての永遠のテーマだと感じています。 初回の投稿は以上とさせていただきます! また、次回、機会がいただければ指揮関連のトピックで投稿させていただきたいと思います!ではまた。

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